NAMC YS-11
公開:2004年 6月12日
改訂:2004年11月20日 |
NAMC YS-11A-217(JA8788)
日本エアコミューター
2002.9.15 伊丹空港(展望デッキ)
第二次世界大戦後、日本が唯一独自で開発・生産した国産旅客機で初飛行から40年を迎えてなお飛び続ける双発ターボプロップ旅客機が本機、日本航空機製造YS−11型機です。
■開発の歴史 |
戦前から戦中にかけて技術水準の面で先進国に優るとも劣らぬレベルに達した日本の航空機産業でしたが、敗戦に伴い連合軍から一切の航空活動が禁止され、一旦は完全に国産機開発の途が途絶えてしまいました。1952年になって航空機産業の再興が解禁されましたが、進歩の早い航空界で7年間のブランクはあまりにも大きく、技術開発の遅れを取り戻す意味からも1955年頃から国産旅客機開発計画の機運が高まりました。
計画は徐々に具体化、1957年には国からの補助金を受けて国産旅客機開発の基礎研究を行う組織として輸送機設計研究協会が設立され、多くの案が検討される中、最終的には座席数60席級の双発ターボプロップ旅客機、という仕様が固まりました。
1959年には同協会を母体に政府と民間各社が共同出資する日本航空機製造が設立され、本格的な開発に着手、日本の航空機産業の総力を結集した開発には「航研機」や「A26」を開発に携わった木村秀政博士をはじめ、「零戦」の堀越二郎技師、「紫電改」の菊原静夫技師、「飛燕」の土井武夫技師等戦前から戦中に航空機開発に携わった代表的な設計陣が加わっての開発となり、1962年8月に原型機が初飛行しました。
■特徴 |
本機の特徴は、60席級という中型機にも関わらず1200m級の滑走路から運航可能なことで、これは当時の日本の地方空港の実情に合わせたものですがこの点が輸出で有利に働きました。さらに国産機ではあるもののエンジンには既に実績のあるロールスロイス社製のダートエンジンを選定する等、外国製部品を多く使用することで、信頼性や扱いやすさが重視されており、製造から30年以上経過してもなお活躍を続けているのはその証拠と言えますし、ある面では過剰品質であったとの批判もあります。
■生産と派生型 |
デビューを果たした本機は、航続力にやや不満があったものの、性能、空力特性、信頼性、ハンドリング性など総合的にバランスのとれた優れていて評価も高く、日本の航空会社はもちろんのこと、ペイロードを増したA型が発表された頃からは海外への販売も本格化、大量25機を導入したアメリカのピートモンド航空のをはじめ、ブラジルのVASPやクルゼイロ、ギリシャのオリンピック航空、フィリピンのフィリピン航空などで導入されました。
しかし、性能の優秀さとは裏腹に販売計画の甘さが露呈、「売れれば売れるほど赤字が増える」という機体になってしまい、国内需要も一息つき、急速な円高で海外への販売も難しくなってきたことから1972年、182機で生産終了となりました。
生産は標準型で最大離陸重量23.5トンで49機が生産された−100型、ペイロードを増やし各所に改修を加えたA型となって以降は、純旅客型で生産機数が最も多い101機が生産された−200型、23機が生産された貨客混載型の−300型、貨物専用型として自衛隊向けに9機が生産された−400型、さらに輸出仕様の純旅客型の−500型と貨客混載型の−600型などがありますが輸出仕様は専ら他の型からの仕様変更された機体です。
■日本のわいえす |
現在、経年化に加え、装備に大規模な改修を要するTCAS(航空機衝突防止装置)の装備が義務づけられたことから旅客機としてはエアーニッポンが2003年までに退役を終了、日本エアコミューターも2006年度までに退役させることを発表しています。
その一方、自衛隊や官庁に納入された機体はまだ現役の機体が多く、航空自衛隊では人員・貨物輸送、航法訓練、飛行検査に、海上自衛隊でも人員輸送や機上訓練に供されており、さらに海上保安庁では哨戒機、国土交通省航空局では飛行検査機として活躍中でまだまだ日本で活躍する姿が見られそうです。
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