ハイテク化の波
(1980年代のジェット旅客機)

 


 980年代に登場した旅客機のキーになるのは「ハイテク化」です。

  の幕開けを告げたのがボーイング767型機(1981年初飛行)エアバスA310型機(1982年初飛行)です。座席数200席級の中距離路線向け旅客機として開発された両機はコンピュータを駆使して飛行に必要となる情報の集約を図り、監視を自動化、表示をカラーCRTに統合し、乗員のワークロードを軽減、これまで主にエンジンや各種システム系機器の監視・操作を行っていた航空機関士を不要なものとして2人乗務が可能となりました。

 い経済性を発揮したこの技術はほぼ同時期に開発されたやや小型のボーイング757型機(1982年初飛行)やA310の構成をA300に取り入れたより大型のエアバスA300−600型機(1983年初飛行)にも取り入れられ世界へ広がって行きました。

ボーイング
767−200

初飛行:1981年

ボーイング
767−300

初飛行:1986年

ボーイング
757

初飛行:1982年

       

エアバス
A310

初飛行:1982年

エアバス
A300−600

初飛行:1983年

       
 方、短・中距離路線向けの小型機にも改良型が登場します。

  れがDC−9の改良型であるマクドネルダグラスMD−81型機(1979年初飛行)とボーイング737−200の改良型として登場したボーイング737−300型機(1984年初飛行)です。両機共、ベースとなった機体より大型化、さらに経済性と静粛性に優れた新型エンジンを採用する一方、コクピットには既存の機体との共通化を図るため一部コンピューター制御を持ち込んだものの基本的にはアナログ計器の並んだ従来のスタイルを踏襲しています。 両機共に登場後、需要に合わせて改良型を投入、ベストセラーとなりました。

 のクラスで初めてグラスコクピット化を果たしたのが名門フォッカー社がF.28型機の後継機として登場したのがフォッカー100型機(1986年初飛行)です。高い信頼性と低い整備コストというコンセプトを引き継ぎつつ低騒音と低燃費を実現した機体はこのクラスの機体として初めてグラスコクピット化、また新素材の導入なども積極的に取り入れられています。続いてマクドネルダグラス社もMD−80シリーズの短胴型マクドネルダグラスMD−87型機(1986年初飛行)でカラーCRTなど電子機器を駆使した電子飛行計器システムを採用しています。

マクドネルダグラス
MD−81
 
初飛行:1979年

マクドネルダグラス
MD−87
初飛行:1986年

フォッカー
100
初飛行:1986年

       

ボーイング
737−300
初飛行:1984年

ボーイング
737−400

初飛行:1988年

ボーイング
737−500

初飛行:1989年

       
 イテク化の波が長距離路線向けの大型機にも変革をもたらすこととなりました。その筆頭がボーイング747−400型機(1985年初飛行)です。

  47は1960年代の技術を基盤に開発された機械式な構造を多用した機体でした1980年代に入ると旧式化が否めませんでした。そこでさらなる性能向上と近代化を目標に開発されたのが本機で外形的には主翼端にウィングレットが追加された程度で−300型をほぼ踏襲してはいますが一方、大きく変革を遂げたのが操縦システムで757/767での経験・技術を生かし、コンピューターを駆使した最新の飛行管理システムを採用、最大550席級という大型で13000kmを越える長距離路線向けの機材として初めて2人乗務化を実現しました。エンジンもより経済性の高いものに換装、機体構造も軽量化が図られた機体は大きな支持を集めてこのタイプのみで1000機以上という大ベストセラー機となりました。

 れに続いたのがマクドネルダグラスMD−11型機(1990年初飛行)です。
 DC−10をベースに機体を長胴化、主翼にはウィングレットを追加、操縦システムにはエンジンに自動電子制御システムを組み込んだのをはじめとしたコンピューターを駆使した飛行管理システムを導入、電子制御を駆使して水平尾翼の小型化も図った意欲作でした。しかし就航前から想定外の重量超過や気難しい飛行特性などであまり高い評価は得られず、双発機の台頭で売れ行きも鈍り前作ほどの成功を収めることはできませんでした。 

ボーイング
747−400
初飛行:1985年

マクドネルダグラス
MD−11

初飛行:1990年

       
 ・中距離路線向け機材に大きな変革をもたらすこととなったのがエアバスA320型機(1987年初飛行)です。

 れまでワイドボディ機のみを製作してきたエアバス社にとって150席級の短・中距離路線向け機材の開発はまったくゼロからのスタートであり莫大な開発費と大きなリスクを背負うこと決断でしたが大きな市場があると判断しその開発に着手、コンピューターを駆使した飛行システムを全面的に導入したのはもちろん、旅客機として初めてフライ・バイ・ワイヤ操縦システムを採用、機体の素材も新素材を多く取り入れ設計にも新技術を多く取り入れ次世代の旅客機として完成しました。

 の設計は次世代の幕開けを告げる衝撃的なものでボーイング737シリーズやマクドネルダグラスMD−80シリーズなど既存の機体に対するアドバンテージを獲得、需要に応じたファミリー化も進められ様々な改良型を生みながら現在も生産が続いています。

エアバス
A320

初飛行:1987年

エアバス
A321
初飛行:1993年

エアバス
A319
初飛行:1995年

       

 イテク化の波は共産圏に機材にも近代化を促しました。イリューシン86の性能向上型として登場したイリューシン96型機(1988年初飛行)もその1機です。問題だったエンジンを高バイパス比で燃費が改善したタイプに換装、主翼構造も見直しが図られ空力を改善、客室にはエンターテイメント設備を装備、床下に貨物コンテナも搭載可能になるなどかなり経済性を考慮した設計となり、操縦システムはフライ・バイ・ワイヤ方式を取り入れ、コクピットはグラスコクピット化が図られているものの機長、副操縦士、航空機関士の3名での運航形態になっているアンバランスな機体になりました。

  してツポレフTu−154やIl−62の後継需要を見込んで開発されたのがツポレフTu−204型機(1989年初飛行)です。最大座席数210席の双発形式にまとめられたボーイング757に近いデザインの機体の主翼にウィングレットを装着、操縦システムにはフライ・バイ・ワイヤ方式を取り入れ、コクピットはグラスコクピット化され2名での運航が可能な構造となっています。

 れらの機体は直後のソビエト崩壊後の経済混乱と西側の高性能で経済的な旅客機が一気流入したことでそれまで共産圏の旅客機生産を一手に引き受けてきたロシアの旅客機メーカーを直撃、これらの機体は旧ソ連諸国でもなかなか売れず販売数が伸び悩んだ状態となっています。 

イリューシン
Il−96

初飛行:1989年

ツポレフ
Tu−204

初飛行:1989年

       
 


大量輸送時代の到来

(1970年代のジェット旅客機)

 


ジェット旅客機のあゆみ

 

 


 双発機の台頭
(1990年代のジェット旅客機)
 


このページは「旅客機博物館セブンティカラーズ」の一部です。

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