大量輸送時代の到来
(1970年代のジェット旅客機)

 


 の旅を富裕層のものから庶民のものへ…それが第3世代のジェット旅客機のキーです。
 その幕開けを告げた機体がボーイング747型機(1969年初飛行)です。それまでの旅客機の2倍以上の大きさを持つ超大型機は速度は従来の機体とほぼ同じで輸送力が2倍近くになり、乗客一人あたりの輸送コストを大幅に引き下げることにつながり空の大量輸送時代を告げる機体となりました。この世代の機体成功の背景には高バイパス比で燃費の良い大出力のエンジンが完成したことが大きな要因といっても過言ではありません。

 のあまりにも大きな機体は就航後しばらくは航空需要の伸びがついていけずもてあまし気味だった時代もありましたが航空需要の拡大でやがて稼ぎ頭となり、加えてボーイング社でも初期型の−100型に続き、エンジンを換装して燃費を向上させた−200型(1970年初飛行)、短距離路線向けに特化した日本専用モデル−SR型(1973年初飛行)、胴体を短縮して超長距離飛行を可能にした−SP型(1975年初飛行)、2階部分を拡大して輸送力をさらに強化した−300型(1982年初飛行)と次々改良型を開発、「ジャンボ」の愛称で航空業界に不動の地位を築くこととなりました。

ボーイング
747−100

初飛行:1969年

ボーイング
747−200

初飛行:1970年

ボーイング
747SR

初飛行:1973年

ボーイング
747SP
初飛行:1975年

       

ボーイング
747−300

初飛行:1982年

       
 ャンボとほぼ同時期、異なる2社が同じ仕様に基づいて開発したワイドボディ旅客機がマクドネルダグラスDC−10型機(1970年初飛行)ロッキードL−1011トライスター型機(1970年初飛行)です。

  機の開発はアメリカン航空が1966年に公表した新大型中距離旅客機の要求仕様、具体的には250席級で1850海里以上飛行可能という構想を元に開発に着手、洋上飛行を考慮すると双発では安全に問題があり、四発では経済性に欠けるとの判断で3発型式とし、配置は重量バランスから主翼に2基と尾部に1基分散して配置するところまで同じデザインとなりましたが、尾部の第2エンジンをDC−10は垂直尾翼中央を貫通させたのに対し、L−1011はS字ダクトを介して胴体後部に配置、対照的な姿となりました。

 験と実績に裏付けされた堅実な設計のDC−10と新技術をふんだんに盛り込んだ意欲作で挑んだL−1011はほぼ同じ仕様だったため熾烈な受注競争となりますが、L−1011がエンジン問題で大きく躓き改良型の投入も後手後手になったのに対し、DC−10は早くから航続距離が短いとのユーザーの声に応えて長距離型の開発を進め、結果的には倍近いセールスを記録、結果、名門ロッキード社は経営に大きな痛手を受け本機をもって旅客機部門から撤退を余儀なくされました。

マクドネルダグラス
DC−10

初飛行:1970年

ロッキード
L−1011
初飛行:1970年

       
 方、旅客機市場をアメリカ勢に奪われたヨーロッパ勢が巻き返しを図るべく開発したのがエアバスA300型機(1972年初飛行)です。強力な資金力を背景にアメリカ勢がワイドボディ機の開発をはじめる中、資金力が弱いヨーロッパ勢は巨額な開発費が必要となるこうした開発を個々のメーカーで負担するのは困難であり、結局イギリス、フランス、西ドイツの各政府が主導し国際共同開発することとしてその事業母体としてエアバス社を設立します。

 メリカ勢が中・長距離路線の運航を狙って洋上飛行を考慮した三発もしくは四発型式としたのに対し、ヨーロッパ域内の主要都市を結ぶ座席数300席級の大型機として計画された機体はエンジンを双発形式として設計、当初は短距離機としては大きすぎ、双発機故に飛行ルートが限られることから敬遠され販売数を伸ばすことができませんでしたが次第にその性能が認められるようになって最終的に250機近いセールスを記録、エアバス社の礎となる機体となりました。

エアバス
A300
初飛行:1972年

       

 産圏でもこの動きに追随するようにイリューシン86型機(1976年初飛行)が登場します。最大350席が配列可能な完全なワイドボディ機でエンジンは4発形式を選択しますがリアマウントから主翼下に吊る方式に改めています。外形はかなり西側に近い機体となりましたが、この機体の弱点はエンジンで強力な燃費の良い高バイパスエンジンを確保できなかったため既存のエンジンの改良型で挑まざるえず、結果、航続距離は最大でも4000km超となり、長距離路線には依然として旧式化したイリューシン62に頼らざるを得ない時代が続くことを意味し、さすがにこれは共産圏でも問題視され改良型の開発に力が注がれることとなりました。

 型機では支線用ジェット機として成功を収めたYak−40の大型版であるヤコブレフYak−42型機(1975年初飛行)が登場します。その3発をリアマウント形式に納めた外形は踏襲したもののほぼ新設計で主翼は後退翼として、胴体も3+3の配列が可能な太い胴体となり、座席数は最大120席配列可能とされた機体は共産圏のローカル線用機材として普及していきました。

イリューシン
86
初飛行:1975年

ヤコブレフ
42
初飛行:1976年

       
 


短・中距離路線のジェット化
 (1960年代のジェット旅客機)

 


ジェット旅客機のあゆみ

 

 


ハイテク化の波

(1980年代のジェット旅客機)
 


このページは「旅客機博物館セブンティカラーズ」の一部です。

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