短・中距離路線のジェット化
(1960年代のジェット旅客機)

 

  1世代のジェット旅客機はカラベルをのぞくといずれも長距離路線を意識した機体でした。これは当時のターボジェットエンジンで燃費が悪く、短・中距離路線では既存のレシプロ機に代わり登場した燃費が良いターボプロップ機で十分とする予想からでした。しかしターボファンエンジンの登場で燃費の向上が図られた結果、短・中距離路線にもジェット化の波が押し寄せることとなります。

 
距離路線向けに登場したのがイギリスのホーカーシドレーHS121トライデント型機(1962年初飛行)とアメリカのボーイング727型機(1963年初飛行)です。エンジンは4基では過剰、2基では安全性に心配が残るということで間を取って3基とし、リアマウント方式で尾部にまとめた外形、機体サイズ、エンジン、乗客数、性能などほとんど似通った両機は熾烈な受注競争となりました。

 果的には前者がやや小振りでその後の航空需要の増加による長胴化でも冗長性に欠けたに対し、後者は推力に余裕のあるエンジン選定や長胴化にもスムーズに対応できる冗長性、そしてなんといってもボーイング社の高い生産能力と営業力がものをいい、結果的には前者が改良型を含めても100機ほどしか売れなかったのに対し、後者は1800機を超える大ヒットとなりました。
   

ボーイング
727
初飛行:1963年

ホーカーシドレー
HS121トライデント
初飛行:1962年

       
 距離路線向けとして登場したのがイギリスのBAC111型機(1963年初飛行)、アメリカのダグラスDC−9型機(1965年初飛行)、オランダのフォッカーF.28フェローシップ型機(1967年初飛行)です。これらの機体はいずれも2基のエンジンをリアマウント方式で尾部にまとめT字形尾翼というスタイルで設計上、信頼性や構造の簡素化といった点を重視したのも共通しています。

 の中でも老舗ダグラス社が投入したDC−9型機はローカル線での使用を考慮して極めて簡素な構造としつつ将来の長胴化を見越して推力に余裕のあるエンジンを採用、その後の航空需要の増大やアメリカの航空規制の改正、さらに競合機の登場にあわせて次々と大型化され、全長31.8m、80席級(10型)だった機体が全長40.72m、135席級(50型)にまで大型化、1000機近い量産を記録する大ベストセラー機となりました。

 行したBAC111型機は開発段階でT字形尾翼特有のディープ・ストールによる墜落事故で若干遅れたものの比較的早く販売を開始、安価で競合機がなかったことから特に初期に多くの発注を受け、その後競合機の登場で伸び悩んだものの、その生産機数は200機を超えイギリス勢としてはまずまずの成功作となりました。

 方、競合機よりやや遅れての登場したフォッカーF.28は60席級という小柄なローカル線用機で爆発的には売れることはありませんでしたが改良型を生みつつ20年以上に渡って量産されその生産機数は240機を記録、ジェット旅客機メーカーとしてのフォッカー社の礎を築いています。
 

BAC
111
初飛行:1963年

ダグラス
DC−9
初飛行:1965年

フォッカー
F.28フェローシップ
初飛行:1967年

       
 れらよりやや遅れて短距離路線向け市場に飛び込んだのがボーイング737型機(1967年初飛行)ダッソーメルキュール型機(1971年初飛行)です。この2機種の特徴は、競合機が採用している流行のリアマウント方式を選ばず2基のエンジンを主翼下にパイロンで吊る方式を採用している点です。

 27型機でリアマウント方式の機体設計を経験しているボーイング社では同方式のメリット・デメリットを把握しており、737型機のような短距離路線向けの小型機では尾部にエンジンを纏めた場合、エンジン効率の低下や強固な支持構造による重量増加などデメリットが大きいと判断、エンジンを707で経験している主翼下へ配置する一方、他の競合機が省略した装備、例えば727譲りの強力な高揚力装置を装備し高い離発着性能を向上させ、さらに2人乗務でも乗員に過度な負荷が掛からないように計器や操縦装置などに最新の装備を搭載して自動化を図っています。

 方、戦闘機やビジネスジェットで成功を収めたダッソー社の意欲作メルキュール型機は、737型機と似通ったコンセプトですが、短距離路線に特化すべく、燃料分の重量をペイロードの増加に振り向け、機体重量を徹底的に軽量化、エンジンも当時開発中の高性能の高バイパスターボファンエンジンを搭載した競合機を上回る性能を持つ機体として計画されました。

 37型機においてボーイング社の狙いは的中、短距離路線向け市場における同社の地位を確固たるものとして後継機の登場により1988年に生産終了となるまでに1144機が生産された大ベストセラー機となったのに対し、メルキュール型機は搭載を予定していたエンジンの開発が遅れたことから737と同じJT8Dを搭載し、特に目新しい機体ではなくなり、また短距離路線に特化しすぎて融通が利かないことが問題視され、わずか10機で生産打ち切りという惨憺たる結果に終わることとなりました。
   

ボーイング
737−200
初飛行:1967年

ダッソー
メルキュール
初飛行:1971年

   
       
 側に目を向けるとツポレフTu−104型機の就航をもってジェット旅客機時代の幕開けを果たすも実用的とは言い難い機体であり、その改良型の開発が急がれ、短距離路線向けの機材としてTu−104型機の短胴型であるツポレフTu−124型機(1960年初飛行)を経て、エンジンをリアマウント方式に搭載したツポレフTu−134型機(1963年初飛行)が登場、さらに中距離路線向けの機材として3基のエンジンをリアマウント方式で搭載したツポレフTu−154型機(1968年初飛行)が登場します。

 u−124型機まではベースとなった中型ジェット爆撃機Tu−16型機の面影を引きずった機体でしたが、Tu−124型機の改良型として開発されたTu−134型機では、エンジン騒音の軽減を目的に当時の西側の同級機でさかんに採用されていた尾部にエンジンを纏めるリアマウント方式を採用、初期型には残っていた機首部のガラス張りレドームも後に廃止され気象レーダーを設置、その他にも補助動力装置の装備や航空需要に応じた胴体の延長などが図られ、ソ連本国はもちろん、東側各国に販売され850機以上が生産されました。

 らにTu−134型機の開発経験を生かして開発されたのがTu−154型機で中距離路線向け機材として開発された機体は3基のエンジンを727やトライデントと同じようにリアマウント方式で搭載する一方、貧弱な航空設備しか持たない空港での運航に合わせて主翼には様々な高揚力装置を装備、また3車輪式ボギー主脚とそれを納める収納バルジを持つなど東側ならではの特徴も持っています。

 の両機の就航をもって時代遅れな面が目立ったソ連製旅客機が西側の水準にレベルに達したと言われ、実際ソ連政府は西側諸国への販売も目論みますが、結局実現はしませんでした。

 方、僻地へと飛ぶことの多いソ連のローカル線の事情に合わせて西側諸国にはない特徴を持つ機体としてヤコブレフYak−40型機(1966年初飛行)が上げられます。Yak−40型機は20〜30席級という小型機にも関わらず安全性を重視し敢えて推力の小さなジェットエンジン3基をリアマウント方式で装備、主翼も離着陸性能を重視し高速飛行に向かない直線翼となっています。こういった機材のなかった西側諸国でも注目を集め、引き合いもあったそうですが実際に販売までには結びつくことはなかったようです。

ツポレフ
Tu−134
初飛行:1963年

ツポレフ
Tu−154
初飛行:1965年

ヤコブレフ
Yak−40
初飛行:1966年

     
 


短・中距離路線のジェット化
 (1960年代のジェット旅客機)

 


ジェット旅客機のあゆみ

 

 


大量輸送時代の到来

 (1970年代のジェット旅客機) 


このページは「旅客機博物館セブンティカラーズ」の一部です。
/////2009.9.5改訂/////

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