AIRBUS A300B2/B4
公開:2005年1月6日
改訂:****年**月**日 |
AIRBUS A300B4-2C(JA8369) 日本航空/(羽田空港)
欧州域内の主要都市間を結ぶ経済的な大型短距離旅客機という構想の元、欧州各国の航空機メーカーが結集して設立されたエアバス社が開発した双発ワイドボディジェット旅客機の先駆けが本機、エアバスA300B2/B4型機です。
■開発の歴史 |
本機の開発は、1960年代半ばのイギリスで論じられるようになった「欧州域内の主要都市を結ぶ大量輸送短距離機」の構想が原点でこの構想はフランスや西ドイツにも波及、やがてホーカーシドレー社(英)、シュド社(後のアエロスパシアル社、仏)、西ドイツの航空機メーカーグループ(MBB、VFW、後のドイチェ・エアバス社、西独)が300席級でロールスロイス社が開発する<RB207>を搭載する大型双発旅客機A300計画の共同開発に合意、各国政府の協力も取付け、開発は正式にスタートしました。
しかしこの構想には大きすぎるとして欧州域内の航空会社の賛同が得られず、<RB207>を開発するはずだったロールスロイス社がロッキード社がL−1011型機に搭載する<RB211>の開発に着手してしまい開発計画が頓挫、このため計画を開発中の技術を生かしながら搭載エンジンは既存の<CF6>へ変更し座席数を50席ほど減らしたA300B計画へと修正することになります。その後も1969年には財政難を理由にイギリス政府が支援を打ち切る等の混乱もありましたが、1970年には中心となる企業体としてエアバス・インダストリーズ社が設立され、幾多の苦難を乗り越えた試作機B1型機は1972年10月、初飛行に成功、その後、顧客からの要望に応え胴体長を2.65m延長した量産型となるB2−100型機が1973年6月に初飛行を行いました。
■特徴 |
本機の特徴は、同時期にアメリカで開発されたエアバス機が三発もしくは四発型式の中・長距離路線を意識した機体だったのに対し、双発、短距離もしくは中距離路線を指向した機体に仕上げたことで両者の思想の違いが如実に示されています。胴体径は5.64mでDC−10型機やL−1011型機より若干細いですがそれでも床下に一般的なLD−3コンテナを2列に搭載できるようになっていてこの形はその後エアバス社が開発するA310型機やA330型機、A340型機にも引き継がれていきます。 主翼は独自のリアローディング断面とし、フラップはファウラー型を採用、前縁にも全域にスラットを設けている。
■生産と派生型 |
量産型となったB2型は最大離陸重量137.0t、航続距離2500kmほどでしたが、1972年、イベリア航空からリクエストで中央翼に燃料タンクを追加、重量増加にあわせて構造強化や重量増に伴う離陸性能の低下を抑えるべく主翼前縁にクルーガーフラップを装備した最大離陸重量150.0t、航続距離3900kmのB4型が開発され1975年3月に初飛行、さらにB2型に高温・高地での離陸性能強化を図るためB4型同様前縁にクルーガーフラップを装備したB2K型が1976年11月に初飛行、その後も貨物・旅客双方搭載可能なコンバーチブル型のC4型が生み出された他、短縮型のB10型等も提案されこれはのちにA310型機という別型式で登場しました。
これらを含めた生産機数は249機(B1型2機、B2型59機、B4型188機)を記録しましたが、改良型である600型の登場で生産は終了しています。
■日本のA300(1) |
日本では東亜国内航空がDC−9型機で待望のジェット化を果たしたもののライバルが747SR型機やL−1011型機といった大型機材を持ち込み苦戦を強いられていた国内幹線への切り札として1979年5月に離着陸性能を向上を目的にクルーガーフラップを取り付けたB2K型を発注、1981年3月に路線投入しました。ちなみに本機導入の際に採用されたレインボーカラーはエアバス社が発注前の1978年、入間基地で開催された国際航空ショーに持ち込んだデモ機を見た同社社長がデモカラーを気に入ってそのまま同社の新塗装に採用したという逸話が残っています。
同社ではB2K型を1983年までに9機導入、さらに増加する航空需要に対応して1985年7月に追加発注を決めますが当時既に生産は改良型の600型へと移行していたため、国際線運航も考慮した中距離仕様のB4型へ変更、海外の航空会社で活躍した機体を買い集めて8機導入しました。
しかしそれらの機体も経年が進んでおり、B2K型機、B4型機共に売却が進められており徐々にその数を減らしつつあります。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||